- 日本ダービーに挑戦した牝馬の数は?
- 日本ダービーにおける牝馬の成績は?
- 日本ダービーで優勝した牝馬は?
そんな疑問を解決する記事となっています!
2021年、サトノレイナスが牝馬として7年ぶりに日本ダービーに挑戦しました。
当日は2番人気に推されながらも結果は5着。2007年のウオッカ以来、14年ぶりの牝馬による日本ダービー制覇はなりませんでした。
この記事では、過去に日本ダービーに出走した牝馬の一覧や成績、優勝した3頭の名牝などをわかりやすくまとめました。
読み応えのある記事となっているので、ぜひ最後までお読みいただけますと嬉しいです!
日本ダービーに挑戦した歴代牝馬は130頭もいる
2021年8月現在、日本ダービーに出走した牝馬の数は130頭です。意外と多いと感じたかもしれませんが、ここには理由があります。
実は、1952年までは牝馬限定のオークスが秋開催だったため、春に日本ダービー→秋にオークスに挑戦する牝馬が多かったんですね。
1953年にオークスが日本ダービーの前週に開催されるようになってからは、日本ダービーに挑戦する馬の数は当然ながら激減しました。
出走時期で区切ると、1952年までに出走した牝馬が111頭、1953年以降に日本ダービーに出走した牝馬に限るとわずかに19頭になります。
日本ダービーに挑戦した牝馬の一覧【1953年以降】
開催年 | 馬名 | 人気 | 着順 |
1953 | ダツシングラス | 26 | 28 |
1953 | イチジヨウ | 25 | 24 |
1953 | ミナトタイム | 27 | 7 |
1953 | チエリオ | 3 | 4 |
1955 | ミスアスター | 20 | 19 |
1956 | トサモアー | 7 | 25 |
1956 | フエアマンナ | 4 | 6 |
1957 | ミスオンワード | 3 | 17 |
1957 | セルローズ | 11 | 8 |
1958 | ホウシユウクイン | 9 | 9 |
1961 | チトセホープ | 2 | 3 |
1965 | ビューテイロック | 17 | 12 |
1966 | ネイチブランナー | 25 | 12 |
1981 | マーブルトウショウ | 16 | 25 |
1983 | シャダイソフィア | 14 | 17 |
1996 | ビワハイジ | 9 | 13 |
2007 | ウオッカ | 3 | 1 |
2014 | レッドリヴェール | 4 | 12 |
2021 | サトノレイナス | 2 | 5 |
日本ダービーに挑戦した牝馬の一覧【1952年以前】
1952年以前に日本ダービーに出走した111頭の一覧を見たい方は、下のボタンをタップ!
開催年 | 馬名 | 人気 | 着順 |
1932 | パースニング | 16 | 18 |
1932 | ヨシキタ | 16 | 16 |
1932 | アサザクラ | 2 | 8 |
1932 | レイコウ | 9 | 5 |
1932 | オートビス | 16 | 4 |
1932 | アサハギ | 6 | 3 |
1933 | グレーハウンド | 13 | 19 |
1933 | ハツピーランド | 2 | 18 |
1933 | アートフル | 10 | 17 |
1933 | エツフォード | 4 | 14 |
1933 | ケゴン | 13 | 11 |
1933 | クレツセント | 13 | 8 |
1933 | キクノハナ | 6 | 6 |
1933 | ナガト | 13 | 5 |
1933 | ワカイワヰ | 13 | 4 |
1933 | アスリート | 1 | 3 |
1933 | メリーユートピア | 8 | 2 |
1934 | アトランタ | 10 | 9 |
1934 | アキユーメン | 6 | 8 |
1934 | ヤヘヒカリ | 7 | 7 |
1934 | ユキイエ | 5 | 5 |
1934 | テーモア | 2 | 2 |
1935 | クレオパトラトマス | 1 | 9 |
1935 | タマナギ | 9 | 8 |
1935 | ホウカツミンドアー | 8 | 3 |
1936 | シヤダイザクラ | 7 | 12 |
1936 | イロハ | 11 | 9 |
1936 | マリーユートピア | 6 | 5 |
1936 | シンヨリーナトマス | 9 | 4 |
1936 | ピアスアロートマス | 4 | 2 |
1937 | ヒサニシキ | 11 | 15 |
1937 | ガルモア | 10 | 14 |
1937 | グランドチヤンス | 11 | 13 |
1937 | ラシモア | 16 | 11 |
1937 | サンダーランド | 7 | 2 |
1937 | ヒサトモ | 4 | 1 |
1938 | クサブエ | 4 | 12 |
1938 | ミネタカ | 8 | 10 |
1938 | ジヨージポリ | 13 | 9 |
1938 | ワルド | 11 | 6 |
1938 | アステリモア | 3 | 3 |
1939 | ダイトシ | 18 | 20 |
1939 | キリトモ | 6 | 19 |
1939 | ジヨオー | 20 | 16 |
1939 | ホシホマレ | 16 | 15 |
1939 | ソールレデイ | 13 | 14 |
1939 | ハレルヤ | 4 | 5 |
1940 | タイレイ | 10 | 21 |
1940 | メイプリーズ | 17 | 16 |
1940 | ルーネラ | 5 | 9 |
1940 | イエハマ | 14 | 8 |
1940 | アデレイド | 11 | 7 |
1940 | ミスコウア | 8 | 6 |
1941 | ミスマサキ | 10 | 13 |
1941 | ハツピーマイン | 7 | 10 |
1941 | ブランドソール | 3 | 7 |
1941 | メイレキ | 8 | 6 |
1941 | テツバンザイ | 12 | 4 |
1942 | ナイトステーツ | 16 | 17 |
1942 | バンナーゴール | 11 | 12 |
1942 | シマハヤ | 9 | 4 |
1943 | ミスセフト | 14 | 21 |
1943 | シユクセツ | 13 | 19 |
1943 | クリフジ | 1 | 1 |
1944 | ヤマイワイ | — | 16 |
1944 | キメンザン | — | 14 |
1944 | タキヤシマ | — | 11 |
1947 | ブランドパプース | 4 | 17 |
1947 | セフテス | 9 | 12 |
1947 | ブラウニー | 10 | 3 |
1947 | トキツカゼ | 2 | 2 |
1948 | ヤシマヒメ | 11 | 中止 |
1948 | アサマニシキ | 23 | 22 |
1948 | シラマサ | 15 | 20 |
1948 | ハマカゼ | 5 | 17 |
1948 | トキノタカラ | 12 | 16 |
1948 | ヒロノボリ | 4 | 15 |
1948 | ヤマト | 18 | 14 |
1948 | ヒデヒカリ | 2 | 12 |
1948 | ウメタエ | 7 | 8 |
1948 | クニハタ | 8 | 5 |
1949 | ヤシマドオター | 2 | 中止 |
1949 | ミネノマツ | 6 | 中止 |
1949 | ゴタンダヒメ | 20 | 16 |
1949 | センゴクヒメ | 23 | 14 |
1949 | シゲフジ | 16 | 13 |
1949 | シラオキ | 12 | 2 |
1950 | トサミツル | 12 | 22 |
1950 | ケンタツキー | 21 | 18 |
1950 | スターライト | 18 | 17 |
1950 | トサエ | 22 | 13 |
1950 | マリオン | 11 | 11 |
1950 | ヒデニシキ | 26 | 7 |
1950 | ミナトクヰン | 17 | 4 |
1950 | キヨガミ | 6 | 2 |
1951 | ハツピーウネビ | 10 | 19 |
1951 | フオードライト | 12 | 16 |
1951 | ミスメイヂ | 15 | 11 |
1951 | オリオン | 3 | 5 |
1952 | マスコツト | 27 | 30 |
1952 | スズヒカリ | 19 | 28 |
1952 | ニユーマンナ | 20 | 26 |
1952 | クロカミ | 29 | 25 |
1952 | ヤマオー | 31 | 23 |
1952 | クモゼキ | 30 | 21 |
1952 | クラヒカリ | 17 | 17 |
1952 | チグサ | 18 | 13 |
1952 | レダ | 7 | 10 |
1952 | スウヰイスー | 4 | 8 |
1952 | クインナルビー | 12 | 3 |
1952 | タカハタ | 1 | 2 |
日本ダービーに出走した牝馬の成績【勝率はわずかに2.3%】
勝率 | 連対率 | 複勝率 | 馬券外 |
2.3% | 8.4% | 13.8% | 86.2% |
日本ダービーに出走した全130頭の牝馬の成績は【3-8-7-112】。勝率はわずかに2.3%です。
ちなみに、1953年以降に出走した19頭に限った成績は【1-0-1-17】。3着以内に入れる割合はわずか10回に1回しかありません。
いかに日本ダービーに挑戦して好走することが難しいかわかりますね。
日本ダービーを勝利した牝馬の一覧【歴代3頭のみ】
これまでに日本ダービーを制覇した牝馬は歴代でわずか3頭のみです!
- ヒサトモ(1937)
- クリフジ(1943)
- ウオッカ(2007)
ちなみに、オークスの開催週が日本ダービーの前週に移動した1953年以降に勝利した牝馬は【ウオッカ】のみになります。
ヒサトモ
史上初めて日本ダービーを優勝した牝馬です。
日本ダービー当日はゼネラルが単勝支持率52%を集めていましたが、レースは4番人気のヒサトモが好スタートを切ると、逃げ切り勝利。
2着にはゴール前で追い込んだ7番人気の牝馬サンダーランドが入り、史上初の牝馬によるワンツーフィニッシュを達成しました。
不遇の晩年を送ったことから「悲劇の名牝」と呼ばれ、クリフジの陰に隠れがちな存在ですが、顕彰馬に選出されたクリフジに勝るとも劣らない偉大な競走馬と評価する声も多いです。
クリフジ
史上2番目に日本ダービーを優勝した牝馬です。
11戦11勝の生涯全勝記録を持ち、1984年には顕彰馬に選出された文句なしの名馬です。
レース当日はスタートで大きく出遅れたにもかかわらず、1番人気に応え、6馬身差の圧勝。
鞍上の前田騎手はゴール前で他馬の脚音がまったく聞こえなくなったので何かあったのではと何回も後ろを振り返ったそうです。
その後は、オークス・菊花賞も勝利して変則での三冠クラシック制覇を達成。11戦中7戦は着差10馬身以上での勝利と圧倒的な強さでした。
ウオッカ
史上3番目に日本ダービーを優勝した牝馬です。
クラシック初戦の桜花賞は先行したダイワスカーレットを捕らえきれず2着でしたが、角居調教師は日本ダービーへの出走を懇願。
当日は3番人気に推されると、馬群の中段から直線で抜け出して優勝。64年ぶりの牝馬による日本ダービー制覇・父のタニノギムレットと史上初の父娘でのダービー制覇を達成しました。
その後も安田記念連覇・天皇賞(秋)・ヴィクトリアM・ジャパンCなどを勝ち、G1通算7勝を記録。2011年には顕彰馬に選出されました。
日本ダービーを牝馬が勝利するのは難しい!
この記事では、これまでに日本ダービーに挑戦した牝馬について詳しく解説しました!
牝馬が日本ダービーを勝利できる確率は2.3%とやはり極めて高い壁なんですね・・・
日本ダービーと同じく、牝馬が勝つのが難しいと言われているレースにファン投票で盛り上がる年末グランプリ有馬記念があります。
「牝馬は有馬記念を勝てない」と言われるのは何故なのか。ぜひこちらの記事も併せてご覧ください!
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